戦後教育で消えた「小さな親切」

よくインターネット上のコミュニティの現場で
その場に違和感を覚えたものが発する指摘や警告に対して徹底的な排除が行われるのを見受ける。
例えば、掲示板サイトや配信系のコミュニティで悪い事をしている人達に対して注意をしたりすると
自分らは好き勝手やっているんだから、気に入らないやつはこの場から去れ。という風な流れに大概なる。
確かに、そういった趣旨の元集まった連中のコミュニティにこちらから入っておいてああだこうだと、いちゃもんをつけるのは面倒なやつととられられても仕方の無いことです。
しかし、そういった自由コミュニティの中にはある種、徹底した個人主義教育の成果、いやもっと言うなら利己主義的価値観を伺えないでしょうか?
古き良き時代…といっても、そんな古い時代の話なんてものはまだまだ青い自分に知る由もないが、今の時代と違って村社会というかそういう人と人との繋がりがもっと親密だった時にはそういう他人が逸脱した事をしたりすることに対して必ず人生の先輩や親が余計なお世話を焼いて正していたりしていたんだと思います。
そういう風潮の中に、客観性なりを育成する成果は少なからずあったのではないでしょうか。

今の世の中には自分さえ良ければいい、分かるやつだけが分かればいいというそういう成熟した公共意識・客観性に乏しい考えが蔓延しているのではないでしょうか。